Chapter 3-16


母と息子 4


 厳しくアリエルをねめつけていたリチャードが、フッと頬の緊張を緩め笑った。

「アリエル、君さ。随分面倒な性分なんだね。細かいと言うか、しつこいと言うか、感心するよ全く」
 彼は彼女を馬鹿にしたように軽口を飛ばす。
「どうして今でも嫌っているかーーか、あの程度の過去では、どうやら満足出来ないんだね」

 棘のある言葉が、胸を深々とえぐっていった。リチャードはアリエルと友達になろうと言ったことなど、最早忘れてしまったのだろう。そうとしか思えない。

「い、いえ、そういう意味ではございません。ただリチャード様はとても、思いやりのあるお優しい方でいらっしゃいます。そのリチャード様が、子供の頃のことでいつまでも、肉親であるお母様をお恨みするのが信じられないのでございます」
 アリエルの疑問を彼は静かに聞いていた。いつの間にか顔に浮かんでいた嘲笑も、かき消すようになくなっている。
「僕が優しい、か……」
 彼は小さく呟いて腰を上げた。
「君は相当おめでたい人だ。見当違いの考えが、相手を苛つかせていることにも気づいていない」
 近づいてくるリチャードの姿が目に入り、アリエルは無意識に体を強ばらせる。穏やかな声で毒づく青年は、得体の知れない威圧感で覆い被さってくるようだった。
 彼女の微妙な恐怖心を嗅ぎ取って、リチャードは唇を歪め小さく噴き出す。
「体の方は正直だよ。僕を充分怖がっているじゃないか」
「違います。こ、これは……」
「分かるんだよ、僕には。君達が恐れる心が、まるで手に取るように簡単に」
「君達……?」
「そう、君達。捕食者に狩られるか弱い被食者」
 目の前に立ちふさがったリチャードが、アリエルの顎を指で上げてうそぶく。震えて引きつる青白い頬を、彼は反対側の手で宥めるように撫で回した。
「君は本当に綺麗だね。僕はね、今まで君のように、紛い物ではない本物の美しさを持つ女を、相手にしたことはない」
「あ、あの……」
「いつだって化粧をたっぷりと顔にのせた、香りのきつい女ばかりだった。自分の美しさをひけらかす、高慢で尊大な態度を取る女」
「リチャード……様?」
「ねっ、誰かに似てるだろう? そう、僕はそんな女を好んで選んでいたんだ」

 リチャードはグレイの瞳を翳らすと、視線をさまよわせぼんやりと呟いた。

「僕が初めてその光景を見たのは、十四になる頃だったなーー」




 リチャードにとって深い傷を負った夏が終わると、それからほどなくして、彼は王都にある寄宿制の男子校に入れられた。

 心配していた山奥の学校ではなく、王都の中心部にある伝統校だったのは幸いとは思えたが、問題を起こした息子を厄介払いでもするような、予定よりも随分早い入学に、両親ーーことに母親に対する不信感は、どうしても拭えずにいた。

 それでも学校へ入ったことにより、同年代の友人が出来ていく。
 新しい生活と今までにない新鮮な環境は、リチャードを凍らせた深い悲しみを、少しずつ癒やしてくれていった。
 学校へいる間は過去の痛みを忘れていられる。彼は段々、明るくて人懐こい元の自分を取り戻していったのだ。

 だが、学期ごとに訪れる長期休暇は、そうはいかなかった。

 広い校内には帰省のため生徒がいなくなり、彼も当然両親の元へ戻らなければならない。
 そして、グルム公爵家では、毎夏必ずこの荘園で過ごすのが恒例だったのだ。リチャードにとっては辛い記憶が残る、この地にいなければならなかったのである。

 その上、家族とともに避暑に訪れた彼には、当然のようにともに過ごす相手などいなかった。
 客人の連れて来る子供達と言えば、大抵彼より年上の、結婚相手を夢中で探す令嬢や青年ばかりで、リチャードなど眼中にも入ってなかった。そして、それより小さな子供達に至っては、皆自宅にて子守に任せきりとなっているのだろう。館では見かけることすらなかったのである。

 リチャードの日常に接する人間は、頭の堅い一夏だけ雇われた家庭教師と、よそよそしく世話をする近侍ぐらいであった。

 つまり、ここはもう夢の国でも何でもない。それどころか、この地にいる間中、過去の幻影に苦しめられることとなった。
 守ってやることが出来なかった大切な者達が思い出され、彼は後悔に苛まされるばかりであったのである。




「きつかったよ」
 リチャードは苦い声を漏らした。
 彼は相変わらずアリエルの前を塞いでいた。彼女は身動きもままならない状態で、彼が紐解く昔話を受け止めるしかない。
「でも、そんな数年が過ぎたあと、僕は彼女に再会したんだ」
「彼女……?」
 ああ、と青年は笑った。
「幼い頃、僕の子守をしていた年上の少女。アネットという名の侍女だよ」

 アリエルの解れ毛を優しく手で直してやりながら、リチャードは薄く色づく耳に触れた。硬直して動きを止めた目前の存在に向ける表情は、一見彼女を気遣っているようにも見えなくない。
 だが現実は違う。
 緊張と緩和、激昂と冷静を操って、哀れな被食者をゆっくりと支配していってるのだ。

「アネットと出会ったことが、今の僕を作ってしまった。ただのひ弱な十代の子供には、どうすることも出来ない運命だったんだ」

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