Chapter 4-3


親友の別の顔 2


「ジュリアス?」
 ヤオ・ハンはジュールに問いかけた。
「はい」
 彼に向かってブロンドの髪の毛が軽く揺らめく。会釈をしたジュールは、公爵に促され、ハンへの挨拶をそのまま始めた。
「いつも父がお世話になっています。あなたのお話は祖父や父から常々伺っておりました。お会いできて光栄です」

「なるほど」
 ハンは目を細め青年をまじまじと見上げて頷く。
「確かにチェスターに似ているようですね。彼の伊達男振りは有名でしたから。あ、いや、今の話は、奥方には内緒にしていてほしいのですが……」
「ご心配には及びません。祖母はとうに諦めていますよ。それに最近では、さすがの祖父もおとなしくなっていますし」
「彼がおとなしい? ……まさか」
 ジュールとヤオ・ハンは互いに目を合わせ、小さく噴き出した。公爵と夫人も二人の会話を邪魔することなく、笑みを浮かべて見守るだけだ。

「君と話が出来てよかった。なにしろ、我々の羨望を一心に集めた色男、あのチェスター・アーバンが、今では奥方に肝を握られおとなしくしているなんて、面白い話を聞けたんですからね」
 異国の客人は食事を再開しつつ会話を続けていた。
 執事のハンスを始めジュール以外の使用人達が、主達のグラスに飲み物を注ぎ足すため、テーブルの周りを移動していく。そんな中、アリエルも戸惑いつつハンの背後へと近づいた。
 客人はジュールに会えてよっぽど嬉しかったらしく、白い歯をこぼして笑みを見せていた。
「それで、君はーー」
 ハンの声を聞きながら、彼女は食卓の上に置かれたグラスへと手を伸ばす。手元がおぼつかなくて震えそうだったが、それを懸命に押し隠し、ようやくグラスを掴んだ時だった。
「それで君は、カエサルの後継者ですか?」
 勢い込んで話すハンの声が飛び込んでくる。

(えっ?)

 後継者ーー?

 掴んだと思ったグラスが手から滑り落ちた。
 鈍い音がすぐ下で響き、グラスの底に薄く残っていたワインが飛び散る。
「うわっ」
 ハンの驚いた声が上がった。
「まあ、いったいどうしたの」
 公爵夫人グレースの悲鳴も聞こえる。

 アリエルは呆然として、自分の手元を見ていた。あまりの失態に気が動転して、目眩すら覚える。
 今、何をしてしまったのか。夫人よりくれぐれもと注意を受けた客人の食事を、台無しにしてしまったのではないのか。
(どうしよう、何てことを……)
「申し訳ございません!」
 彼女は慌ててヤオ・ハンへ頭を下げて謝罪をした。倒れたグラスを引き下げ、濡れたリネンを手持ちの布巾で拭いていく。
 急いで片付け始めた彼女を、ハンは苦笑いを浮かべねぎらった。
「いや、いいですよ。少し驚いただけで。あまり汚れもしなかったし、グラスも割れていないしね。君は大丈夫ですか?」
「は、はい。いえ、あの……」
「お客様、大変申し訳ございません」
 すぐにハンスがやって来て、新しいグラスへワインを注ぎ直しハンへ差し出した。
「どうぞ、これを」
「ありがとう」
 ヤオ・ハンは恐縮しているアリエルをクスリと笑って一瞥すると、目の前にいる公爵夫妻へと視線を変えた。どうやら彼女の不作法に対して、怒りを感じることはなかったようだ。

「我が家のサプライズはいかがでしたかな。思ってもないハプニングだったのでは?」
 公爵がアリエルのミスを茶化して笑い、再び場の空気は緩んだ。
「はは、可愛らしい驚きをありがとうございます、閣下」
 ハンの返事に公爵夫人も相好を崩す。主達が和やかに笑い合う中、アリエルはハンスに指示され室外へと抜け出ていた。ここはもうよいからと体よく追い出されたのであった。

 しかめ面で目配せをしてきた執事の顔すら、彼女は目にすることもなくその命令に従った。むしろ、この場を離れることが出来ると、安堵さえ感じたほどだ。
 主や執事の機転に救われ大事には至らなかったというのに、それを感謝する気持ちさえないとは。
 それも全て、ジュールとハンとの会話のせいだ。あの異国の客人が漏らした言葉が、頭から離れていかない。
 ジュールが公爵の大事な客と、縁深い人物の孫だなんて。彼は国王陛下とも面識がある外国の実力者と、繋がりがある家系の出であったのだ。
 その衝撃に打ちのめされそうになる。

 アリエルは彼から、詳しい出自について聞いたことはない。思い返せば彼は自分のことを商人の息子と説明しただけで、あとは濁してきたのだから。
 リチャードやバイロン子爵との不自然なほどの親密振りも、よくよく考えればただの商家の息子では、到底結ぶことなど出来ない友情ではないか。
 彼女はそれを不思議に感じていたのである。彼らの友情はどこで生まれたものなのか、想像すら出来なかった。
 なのに、聞き出すことは出来なかった。
 ふと芽生えた疑問にすら、問いかけるきっかけを与えてもらえず、肝心なことは何も教えてもらえず、彼はアリエルの親友面をして側に居続けた。
 おかしい、変だと感じながらも、アリエルは彼に何も問えなかった。彼女が核心を突く質問をすれば、彼は飄々とした口振りで話題を変えてしまい、見えない壁でさり気なく拒絶をした挙げ句、追求をかわしてきたのだ。
 いつも、いつも。

 ジュールは最初から、アリエルを友人とすら思ってなかったに違いない。
 でなければ、こんな……。
「こんな、秘密ばかりなんておかしいじゃない……」

 アリエルの涙混じりの呟きは誰にも聞かれることなく、虚しく周囲の空気に消えていった。

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